PR

マリア・セレンとは何者?ジャパンズ・ゴットタレント初代優勝者の両声オペラに迫る!

スポンサーリンク
ゴットタレント

もしも軽やかに透きとおるソプラノ歌唱が、突然リッチに響き渡るテノール歌唱に変わったらビックリしますよね?

・・・そんな「もしも」を現実のものとする、アクロバティックな歌唱スタイルを驚きのハイレベルで披露できる日本人オペラ歌手がいるのを存じでしょうか?

「両声ボーカリスト」マリア・セレンが2023年に日本で初めて「ゴットタレント・フォーマット」によって開催されたオーディション「ジャパンズ・ゴットタレント」で大活躍し、優勝したことが話題になりました(ゴットタレント・フォーマットについては『ゴットタレントとは?』をご覧ください)。

管理人
管理人

マリア・セレンとはいったい何者なのでしょうか?

そして両声ボーカリストが行う歌唱スタイルとは?

アクロバットパフォーマンスに長年携わり、洋楽カラオケ大好きでゴットタレントにもハマっている管理人が、マリア・セレンの経歴や魅力を徹底調査し、整理整頓してお伝えします!

スポンサーリンク

マリア・セレンって何者?・・・ソプラノなの?カウンターテナーなの?

マリア・セレンは東京都出身。身長は182cm、年齢は不詳です。

中学生で声変わりを迎えるまではボーイソプラノで、先生からは「素敵な歌声ね!」と褒められていたそうです。

しかし声変わりで徐々に声が低くなるのが嫌になり、それまで合唱で歌っていた楽曲『翼をください』がボーイソプラノのままで歌えないかと必死で抵抗したところ、あの高音が維持されたのだとか!

ちなみに彼女の高音はソプラノではなくカウンターテナーです。

これは彼女自身が「テノールとカウンターテナー」と言っているようです。

ソプラノかカウンターテナーかの区別は、ソプラノは女性の地声、カウンターテナーは男性の裏声ということですが、我々素人が単純に考えると「マリア・セレンは女性?男性?どちらなの?」「女性か男性かわからない場合はソプラノとカウンターテナーの区別はどうするの?」と混乱してしまいますよね。

これはおそらく「その人の性別が女性か男性か」と考えるよりも「その人の声帯が女性か男性か」で考えるとよいと思います。

これはたとえばソプラノサックス/アルトサックス/テナーサックスのような「楽器の種類」の違いに似ていますね。

マリア・セレンの場合はテノール(もしかするとバリトン寄り)の声が出ますので、声帯は男性であり、裏声を使って高音を出しているので高音はカウンターテナーです。

実際、後述するJGT決勝の『ジュピター』では明らかにファルセットと思われる箇所がありましたので、確認してみてください。

高校では合唱部に所属していましたが、顧問の先生から「君はオペラ歌手になったほうがいいと勧められてその道を目指すことになりましたが、音大には行かずに独学であの両声ボーカルを培ったようです。

時は流れて2013年、共通の友人の紹介で世界的デザイナーのコシノジュンコさんと出会い、その11月に行われたコシノジュンコ・プロデュースによるパレスホテル一周年「ザ・パレス・ガラコンサート」にゲストとして出演します。

当時マリア・セレンは「はるか」と名乗っていましたが、このときYouTubeにアップされた動画が話題となり、再生回数も1460万を超えました(2024年3月現在)。

現在の名前マリア・セレンの「セレン」はギリシャ神話に登場する海の魔物セイレーン(Seiren)に由来しています。

セイレーンは体の上半分が人間、下半分が鳥(後世には魚)という魔物であり、航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の船乗りを惑わし、海中へ引きずり込んだと言います。

「マリア・セレン」の名付け親は、後ほど紹介する『Jupiter』の作詞もされた植村文明氏ですが、「マリア」については「彼女の容姿が巨大なマリア像のようだ」ということから名付けたようです。

つまりマリア・セレンはその名前自体が「聖母マリア」と「魔物セイレーン」の組み合わせという「対立する2つの要素」からなっており、それは彼女自身の「不可分な二面性」を象徴するのにふさわしい名前だと言えるでしょう。

JGT準決勝で歌われた楽曲『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』とは?

日本では初の「ゴットタレント・フォーマット」を用いたオーディション「ジャパンズ・ゴットタレント」の準決勝が行われ、その模様は2023年2月18日にabemaTVで録画放送されました。

この準決勝でマリア・セレンは『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を歌いましたが、その結果広瀬アリス審査員からゴールデンブザーをもらい、決勝進出権を獲得しました。

『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』は1995年に発表されており、現在では「クラシカル・クロスオーバー」と呼ばれるジャンルの草分けとなった楽曲で、イタリアのテノール歌手アンドレア・ボッチェリが歌ったのが初出です。

作曲はフランチェスコ・サルトーリ、作詞はルーチョ・クアラントットですが、ボッチェリがソロで歌うわけですから当初は全編イタリア語でした。

発表当時はそれほど話題に上らなかった楽曲ですが、翌1996年にイギリスのミュージカル歌手でソプラノのサラ・ブライトマンからの申し出があり、一部を英語の歌詞に変更しサラとのデュエットにしたところ、これが全世界で爆発的にヒットしました。

この2人のデュエットですが、その構成は1番がサラのソロ、2番がボッチェリのソロ、3番がオクターブユニゾン(1オクターブちがいの同じメロディで歌うこと)になっています。

管理人
管理人

現在は世界中でさまざまなアーティストがカバーしていますが、この「1996年の一部英語バージョン」はかなり多いのではないでしょうか。

マリア・セレンがカバーしたのもこの1996年バージョンですが、オリジナルは歌唱部分が約3分40秒ほどあったものを、このJGT準決勝では約2分30秒に短く編集して歌っていますね。

初開催のJGTで見事ゴールデンブザー!歌唱の模様と会場の反応は?

まず1番はBメロを省略してAメロとサビの「Time to say ・・・」をカウンターテナーで軽やかに歌っています。

ここまでは観客も審査員も静かに聴いているだけだったのですが、ところが2番の頭にテノールで入り、会場に迫力ある声が響くと拍手が沸き上がりました。

Gackt審査員も頷きながら拍手を贈っています。

2番もBメロは省略でしたが、マリア・セレンのテノールは音色そのものがちょっと個性的で輪郭がはっきりとした響きがあるせいでしょうか、サビに入った瞬間やサビでの高音部になると、二度三度と拍手が起こっていましたね。

そして2番の終わりから3番では、フレーズ間やフレーズ途中でカウンターテナーとテノールが入れ替わる「アクロバティック」な歌唱法の披露となります。

ラストに向けての転調後はさらにその切り替えペースが細かくなり、単語の途中でも1オクターブが切り替わる「声のジャグリング状態」に到達します。

そして最後はまた迫力のテノールに戻り、ラストのロングトーンがあの特徴ある声で会場にビンビンと響いて終了となりました。

客席の何割かがスタンディング・オベーションを贈る中、音声がかき消された審査員席では広瀬審査員がGackt審査員に何かを一言たずね、Gackt審査員はおそらく「どうぞ」と言ったのでしょう。

次の瞬間広瀬審査員がテーブル上のゴールデンブザーをスマッシュすると、ステージは金色の紙吹雪に包まれました。

さて、この準決勝でのパフォーマンスの「意図」をまとめますと、以下のような感じになるのではないでしょうか。

①カウンターテナーでしっとりと始まり、会場の「耳」を掴む

②テノールの響きで聴衆を圧倒する

③カウンターテナーとテノールをそれぞれ「味わう余裕のあるタイミング」で切り替えていく

④カウンターテナーとテノールの切り替えをスピードアップし、聴く側の余裕を削っていく

⑤ラストはテノールの大きな波が到来し、聴衆はもはや身を任せるしかない

管理人
管理人

・・・という感じで、まさに会場が魔女セイレーンの「歌声のとりこ」になるしかありませんでしたね!

男女のデュオをひとりで歌う圧巻のパフォーマンスに審査員の反応は?

ではここで審査員4人の反応を振り返ってみましょう。

今回のJGTの審査員は、以下の4名でした(順不同)。

広瀬アリス(俳優) 山田孝之(俳優) Gackt(ミュージシャン) 浜田雅功(お笑い芸人

【広瀬審査員】
「圧巻ですね。本当に素晴らしいとしか言いようがないんですけども・・・(山田審査員に振る)」

【山田審査員】
「ゴットタレントの場にいるなぁって、すごく思いましたね!・・・すごい。すごかったです。」

【Gackt審査員】
「けっこうはっきりとしたパート分けで歌う方はまぁいるんですけど、ああいうオクターブ跳びでバンバン戻していくっていう方って珍しくて、技術的にもかなり難しいことをサラッとやってるっていうのが僕は非常に面白いと思ったのと、あと根本的に歌が非常に美しい。それが何より・・・。」

【浜田審査員】
「高音と低音を使い分けているとき、もう途中で落語家に見えてきてちょっと面白かったんですけど、歌がもう凄かったすね。」

【広瀬審査員】
「このパフォーマンスを見るためにずっとここに・・・だから審査員やってて本当に良かったと思いました。・・・ありがとうございます。」

審査員の皆さんのコメントはいかがでしたでしょうか?

このような「驚きのパフォーマンス」のときにはよくあることなんですが、コメントすべき技術的な観点や具体的なシーンがなかなか言葉に出てきていないように思います。

これは同じ2023年の夏にアメリカで行われたゴットタレントの1次予選で、アバンギャルディが演技したあとのコメントでも同じようなことが起こっていました。

本場AGTの審査員でさえ「すごい」「見たことない」「でも大好き」などと、程度を示す抽象的な言葉や好感を表す言葉ばかりで、何が良かったのかがさっぱりわからないコメントがほとんどでした(笑)。

管理人
管理人

JGT審査員の皆さんからは驚きと、迫力に押された感じがよく伝わってきますね!

出場者たちの演技の迫力や情報量が大きいと、審査員といえどもやはり受け身になるしかない場合があるんですが、このマリア・セレンの場合もそのようなケースだったのだと思います。

「ニンゲン観察モニタリング」では『オペラ座の怪人』も披露!

JGTでの披露はありませんでしたが、マリア・セレンの得意曲をもう一つ挙げるとすれば『オペラ座の怪人』でしょう。

この曲も『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』と同様、男女のデュオを彼女がひとりで歌いあげるスタイルで歌っています。

この曲は1986年10月にロンドンのウェスト・エンドで上演が始まったミュージカル『オペラ座の怪人』の楽曲です。

1988年1月からはニューヨークのブロードウェイでも上演が始まり、なんと2023年4月まで35年間のロングランを記録しており、日本でも1988年の4月から劇団四季が日本語版の舞台を上演し続けている、超人気のミュージカルです。

作曲はイギリスのアンドリュー・ロイド・ウェバー、作詞はチャールズ・ハートですが、日本語版の歌詞は演出家であり劇団四季の代表でもあった浅利慶太が担当しました。

マリア・セレンは2023年6月放送のTBSの番組『ニンゲン観察バラエティ・モニタリング』で、この日本語版の『オペラ座の怪人』を透明カラオケボックスの中で歌って95点以上の得点に挑戦しました。

カラオケの採点では、途中でオクターブが変わっても音程バーのうえでは同じ旋律と判断します。

男声と女声の切り替え歌唱でも「これはかなりいい線イケるんじゃないか?」と思われましたが、惜しくも92.920点で終わっています。

管理人
管理人

残念でした!・・・またの挑戦を期待しましょう!

JGT決勝の楽曲『ジュピター』とは?

さて、2023年2月25日に放送されたJGT(ジャパンズ・ゴットタレント)の決勝でマリア・セレンが歌ったのは『ジュピター(Jupiter;木星)』でした。

決勝前のインタビューでマリア・セレンは「ぜひ真っ白な気持ちで、先入観なしで聴いていただけたらと思います」と語っていましたが、これはやはりすでに有名になっていた2003年版日本語歌詞の『Jupiter』を平原綾香が歌ったものと、直接比較されることを気にしていたのかもしれません。

このことについて私も思い当たることがあるのですが・・・日本では「カバー曲」への風当たりがわりと強いような気がします。

音楽業界に限らないことですが、日本ではオリジナルを「本家」「元祖」と呼んで讃える一方で、後発を「二番煎じ」と呼んで揶揄するような風潮が多少なりともありますよね。

とくに歌謡界では「楽曲」とそれを「最初に歌った歌手」との結びつきは非常に強く「あの曲はあの人じゃないとダメだ」という想い入れに支配されているケースに、たびたび出くわします。

管理人
管理人

これに対して欧米では日本よりずっとカバーに積極的で、同じ楽曲が2度3度とカバーされ、大きなヒットを生み出しているケースもかなりあるような気がしていますが・・・

今回の場合は2003年日本語版と平原綾香の結びついた印象は強く、その楽曲と今回のJGTで歌われた楽曲との相違点をきちんと押さえておくべきかと思いましたので、以下に少し解説しておきますね。

『ジュピター』の原曲は、1916年にイギリスの作曲家グスターヴ・ホルストによって書かれた管弦楽のための組曲『惑星』のうちの1曲です。

ご存じのように、日本では2003年に吉元由美が日本語歌詞をつけたカバー曲を、歌手の平原綾香がデビュー曲として歌い、クラシックファンだけではなく一般にも広く知られるようになりました。

これに対して今回のJGTでマリア・セレンが歌ったのはこの2003年の日本語歌詞版ではなく、ホルストの原曲の一部に前奏部分とイタリア語の歌詞をつけた「まったく新しいカバー曲」になります。

作詞が植村文明 、編曲が武井浩之、イタリア語への訳詞がフランチェスカ・ドナティとなっています。

まず歌詞のちがいについて触れますと・・・2003年版日本語歌詞のジュピターは、ざっくり言うと宇宙を背景にしつつも、主題は「人と人との関わりの尊さ」を謳っているように思いますが、2023年のJGTで歌われたイタリア語歌詞版は、もっと抽象的かつやや宗教的な内容になっています。

その一部、ホルストによるオリジナルのメロディにあてられた歌詞を、機械翻訳ですが和訳してみましたのでご確認ください。

(和訳ここから)
大海原をさまよい、新しい世界を待つ
落ち着きのない魂たち
神に守られ、栄光に守られ
私たちは共に暗闇を乗り越えよう
うっとりとした魂が一心不乱に漂っている
新しい世界を待っている
(和訳ここまで)

日本語歌詞とはまた別の大きなスケールであることがおわかりいただけるかと思います。

次にメロディですが、ホルストの原曲にはない「前奏」のような部分を新たに付けくわえ、そこにも歌詞をつけています(ただし公演で使われるロングバージョンでは同じフレーズが「前奏」ではなく「間奏」として挿入されている場合もあります)。

ホルストのオリジナル部分では「さまよえる魂が新しい世界へと解放されていく」ことが謳われていますが、この前奏部分にはその解放への「期待」が込められており、前奏の終盤ではその期待が膨張して爆発しかねないような緊張感がみなぎっています。

そしてこのような曲を、マリア・セレンがテノールとカウンターテナーを使い分けて力強く表現したのが、今回のパフォーマンスというわけです。

優勝を決めた『ジュピター』への審査員の反応は?

決勝でマリア・セレンはこの『ジュピター』に対し、前奏部分の前半をほぼカウンターテナーで、前奏部分の後半はほぼテノールで歌いました。

管理人
管理人

この記事の始めの「ソプラノなの?カウンターテナーなの?」で、私が「明らかに裏声」と書いたのは、この前奏部分の終わりの低音から高音へと移行する部分の途中です。

前奏が終わり、聴きなれたホルストのメロディ以降はほとんどテノールで歌い、カウンターテナーに切り替えたのはごく1部で「proteti」と「trionfiamo insieme」の部分だけでした。

全体として、準決勝の『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』よりも切り替え歌唱が少なく、ストレートな歌い方だったのではないでしょうか。

マリア・セレンのパフォーマンスは全体の最後だったのですが、この歌唱に対してGackt審査員は「最後を飾るにふさわしい歌唱だったんじゃないですか。ずいぶん・・・ずいぶん(客席の)奥の方まで(歌声を)届けて歌うものだなぁって・・・思いました」と、感動を抑えるような口調で静かに答えていました。

【考察】なぜテノールとカウンターテナーの「二刀流」を選んだのか?

管理人
管理人

高校の顧問の先生から「オペラ歌手になるといい」と言われたにも関わらず、マリア・セレンは音大には入っていないようです。

さて、ここからは管理人の推測なのですが・・・もし彼女が音大に入っていたなら、クラシックの伝統的価値観の中ではもちろん「ソプラノ」として認められることはなく「テノールなのか」「カウンターテナーなのか」の二者択一を迫られていたのではないでしょうか。

「一方を選ぶということは、他方を捨てるということ」と考えれば「テノールを捨てるのか」「カウンターテナーを捨てるのか」という選択は、マリア・セレンにとっては「自分の持つ二面性の一方を否定することと似たような意味を持っていたのかもしれません。

彼女が自身の二面性を受け入れて以来、周囲からは肯定的ではない視線を向けられたこともあったでしょうし、それは当然、テノールとカウンターテナーの「二刀流」を選んだときにも発生していたのではないかと推測します。

テノールとカウンターテナーを1人の歌手が兼務し、さらには小節の中で細かく切り替えを行うなどという歌唱法は、伝統的な価値観からすると「イロモノ」「キワモノ」として取り扱われる可能性が高いのではないかと思いますが、マリア・セレンはそのような評価を覚悟の上で選択しているのでしょう。

しかし男性か女性かの類別に馴染まない自分の存在を否定しないために「二刀流」は彼女にとって当然の帰結だったのでしょうし、その選択は彼女と同じ境遇に立つ人々へ「新たな可能性」を示すための「不可欠な一歩」なのかもしれません。

そしてそのような「新たな可能性」が伝統的な声楽の価値観とも衝突しないためには、従来のオペラとは別の枠組みを作る必要があったのだと思います。

マリア・セレンが団長を務める「モンドパラレッロ 歌劇団」とは?

マリア・セレンは現在「モンドパラレッロ(Mondoparallelo) 歌劇団」を立ち上げ、団長を務めています!

この歌劇団の名前ですが、イタリア語でMondは「世界」、paralleloは英語のparallel、つまり「平行」を意味しています。

これは同歌劇団のホームページから引用しますと「男と女、正と邪、あの世とこの世など相対する2つの時空間を行き交うパラレルワールドという意味」なそうです。

この歌劇団は能楽を作風の基礎に置いた作品づくりをしているということですので、その意味でも「ヨーロッパのオペラ」と「日本の能楽」という「別の世界でそれぞれに行われてきた伝統的なエンターテイメントの併存」をパラレルワールドに見立て、それらが交錯する場としてとらえることができるのかもしれません。

物事の二面性をあるがままにとらえる視点から、新しい舞台芸術を創ろうとするモンドパラレッロ歌劇団。

マリア・セレン率いる、彼らの活躍にも期待しましょう!

管理人
管理人

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

コメント