リアリティ・オーディション番組「ブリテンズ・ゴットタレント(BGT)」の司会者として、番組を盛り上げる名コンビ「アント&デック」。
コンビで司会をしていると、日本なら「お笑い芸人かな?」と思ってしまいますがそうではありません。

・・・では彼らはいったい何者なのでしょう?
ポール・ポッツやスーザン・ボイルのドラマティックな活躍に魅せられて、もう何年もオーディション動画にハマっている管理人が、「アント&デック」のルーツとこれまでの驚くべき業績、そしてBGTでの彼らのキャラクタについて、この記事で徹底的に解説します!
BGT司会者、アント&デックのルーツとは?
アントのフルネームはAnthony McPartlin(アンソニー・マクパートリン)、1975年11月18日生まれです。
デックのフルネームはDeclan Donnelly(デクラン・ドネリー)、1975年9月25日生まれ。
二人は同い年で、出身についてはイギリスのニューキャッスル・アポン・タインという情報しかありませんでした。

・・・もしかすると、同郷なのかもしれませんね。
2人は子役時代に、CBBC(英国国営放送BBCの子ども向けチャンネル)のドラマ『バイカー・グローブ』で共演したことをきっかけに仲良くなり、コンビを結成したとのことです。

結成の初期にはコンビ名を、アンソニーを短縮した「トニー」とデクランを短縮した「ラン」を合わせて「トニー&ラン」と名乗っていたこともあったようですね。
しかし前述のドラマ『バイカー・グローブ』の役名であった「PJ」と「ダンカン」を拝借して「PJ&ダンカン」というコンビ名でしばらくの間活動することになります。
俳優&歌手&司会者というマルチな経歴。・・・アルバムは日本でもランクインしていた!
PJ&ダンカンはハイティーンのころ俳優から歌手に転向し、1993年には「Grove Matrix」というボーイズグループの一員としてシングルを発売して、そこそこの成果を得ます。
1996年にはPJ&ダンカンのアルバム「TOP KATS」は日本でも発売されており、ヒットチャートの「オリコン(オリジナル・コンフィデンス)」では27位にランクインしていました!

・・・歌もダンスもできていたんですね!
シングル3枚目からは現在の「アント&デック」の名義になりました。
その後も彼らはしばらく音楽活動を続け、16枚のシングルと3枚のアルバムをリリースしています。
話はちょっと飛びますが、歌手活動から離れて時間が経った2019年、BGTの準決勝のオープニングはアント&デックの歌で始まりました。
会場の外から客席、審査員席、そしてステージへと移動しながら軽快なリズムで歌う2人は、まさに「エンターテイメントの案内役」としてぴったりハマっていました!
歌は全パートがユニゾンなのですが、あのリズムでユニゾンをこなすのは正直ハモリを入れるより難しいと思います。
彼らの息がぴったり合っているのは、まさに2人の「年季」が入っている証拠でしょう!
さらに2022年、2人は女装パフォーマーのザ・ヴィヴィエンヌ、ローレンス・チェイニー、クリスタル・ヴェルサーチらとともにチャリティ・シングル「We Werk Together」をリリースします。
歌手として復活したその収益は、全英1300カ所でフードバンクを運営する「ラッセル・トラスト」に寄付されました。
「昔取った杵柄(きねづか)」である「歌」を活かしてチャリティのためにお金を集められるのも、アント&デックがずっと第一線で活躍を続けているからでしょうね!
さて、話の時系列を戻しましょう。
2人がはじめて司会の仕事をしたのは1994年、CITV(イギリスの子ども向けチャンネル)で放送された『Gimme 5』という番組です。
翌1995年にはCBBCからのオファーを受け、自分たちの番組である『The Ant & Dec Show』を担当し、ここでBAFTA(英国アカデミー賞)の「最優秀スケッチ・コメディ番組賞」と「最優秀子供番組賞」を受賞します。

この頃2人はまだ20歳になったばかりの年なわけですが、俳優→歌手→司会と転向してきての受賞ですから、おそらく「適職に巡り合えた!」という感じでだったのではないでしょうか。
2002年にはバラエティ番組『アント&デックのサタデーナイト・テイクアウェイ』を制作、もちろん司会も担当して、日本で言えば「冠番組」を持つ人気者に成長します。
この番組は視聴者ゲーム・有名人へのドッキリ・カラオケクイズなど豊富なコーナーを持ち、7年も続いたあと一旦休止しますが復活して、2023年には19シリーズを数える「人気長寿番組」になっています。
その人気は、日本でいえば「ダウンタウンの・・・」みたいな感じでしょうか?
この間にも2人はさまざまな番組のプレゼンターとしてキャリアを積み重ねていきますが、ついにサイモン・コーウェルのオファーを受けて2007年、『ブリテンズ・ゴットタレント(BGT)』の司会を務めるに至ります。2人が32歳のときのことですね。

さらに2人はBGTのスピンオフ版である「ブリテンズ・ゴット・モア・タレント」の司会も務めています!
ギネス記録や大英帝国勲章まで持つ、英国きっての人気者!
冠番組を19シーズン続けているだけでもその人気はわかりますが、これまでにアント&デックが受けた「表彰」や「ランキング」からも、エンタメ業界での影響力の大きさがわかります。
まずBBCによる世論調査(2004年)の「イギリス文化に最も影響力のある人」として、アント&デックはこのランキングの18位に選ばれました。

単純な「人気ランキング」であれば歌手や俳優が上位にくるのは理解できますが、「文化に最も影響力のある人」となれば、そう簡単なものではないでしょう。
まだ30歳にもなっていないこの時点で、アント&デックの認知度がいかに広い世代やジャンルにまたがっていたかが推測できるのではないでしょうか。
また2017年1月に、2人は「放送とエンターテイメントへの貢献」に対して、故エリザベス女王からOBEを叙勲されています(OBE=大英帝国勲章 ;Order of the British Empire)。
これらだけでも十分凄いことなんですが、さらに2人は一般視聴者の投票によって決まる、英国TV界最大の表彰であるNTAs(National Television Awards)において「Best Presenter(最優秀司会者)」の表彰を連続18回受賞したことにより「ギネス世界記録」に認定されました。

その後この記録はアント&デック自身の手によって4回更新されています。
イギリスではもはや盤石のポジションにいる、「名実ともに名司会者」ということなのでしょうね!
30年以上のコンビ!・・・2人の不思議な関係とは?
プロフィールで紹介したとおり、アント&デックはCBBCのドラマ『バイカー・グローブ』で共演したことで仲良くなり、これがきっかけでコンビを組むようになります。
実はこの『バイカーグローブ』の当時のプロデューサーであったマシュー・ロビンソンが、2人の少年に「どんな揉め事があっても、それが何であれ、一緒にいなさい。」とアドバイスしていたそうです。

おそらくマシューは2人の「相性の良さ」に特別なものを感じており、それは「タレント売り出しのためにコンビやグループを組む」といった「ビジネス上の選択」の場合の相性とは、まったく異なるものと見抜いていたのでしょう。
不思議なのは、このドラマの時点で2人は「芸能界に脚を踏み入れたばかりの子役」でしかなく、その後どのような変化を遂げるかは誰にもまったくわからない状態だったはずなのですが、その2人に先に「コンビ形式」を推奨したことです。

日本ならば、たとえば「漫才師」が若い頃からコンビを組み、それを一生続けるケースはよくありますよね。
しかし「漫才師」の場合にはジャンルが決まっており、その役割分担も「ボケ」「ツッコミ」とかなり明確になっていますから、コンビでいることの必然性は容易に理解できます。
しかしアント&デックの場合は「子役」、つまり「俳優」という基本的には「個人で仕事を受ける立場」であり、しかもその「立場」がまだ固まってもいない時期でした。
コンビの印象が強くなれば、依頼される仕事も「コンビが前提条件」となり、その数も絞られてしまうような気がしますが、そのようなリスクを考慮しても「2人が2人でいること」にメリットが感じられたのであれば、それは驚くべきことだと思います。

結果として2人は、印象のよい役名であった「PJ&ダンカン」を借用したり、音楽ユニットに転向したりと「コンビ形式が活かせる戦略」をとってはきましたが、実際に最も大きなキャリアとなったのは、司会など「番組のプレゼンター」という、ちょっと意外なポジションでした。
これは推測でしかないのですが、もしかすると「コンビのプレゼンター」という特殊にも思える形式は、始めてみれば予想以上に番組内でのフィット感がよく、しかも競合相手が少ない状況だったのかもしれません。
まぁ経過はどうあれ、本人たちの努力や相性、周囲の方々からの助言などがいろいろと絡まった結果、「これ以上ないコンビ」としてイギリスのTV業界に貢献できていることは本当に素晴らしいですね!

ところで、業界のさまざまな方面から賞賛される2人ですが、意外な事実も判明しているんですよ!
2019年に『アントとデックのDNAジャーニー』という番組が放送されました。
この番組は2人のDNAサンプルからそれぞれの「家族のルーツをたどる」という企画だったのですが、調査の結果2人は奇しくも「同じDNAマーカー」を持っていることがわかったのです!
つまり、アントとデックは「遠い親戚」という関係にあることが、偶然にも判明したわけです。
2人の抜群な相性には、こんな「DNAレベルの共通点」も関係していたのかと思うと、子役時代の出会いがますます不思議に思えますね!
さて、これだけ「コンビでの存在」が定着していると、逆に「コンビでなくなったとき」のダメージも大きいはずです。

ほとんどの仕事を共有する2人は、どちらか一方に「万が一のこと」があったときのために、お互いの保険に加入しているそうで、その額は約100万ポンド(日本円で1億8000万円)とのこと。
金額を聴くと一般人の私は「すごい!」と一瞬思ってしまいますが、でも売れっ子の2人の稼ぎを想像すれば、思ったより少ない金額のような気もします。
もしかすると本人たちは「・・・ないよりはあった方がいいよね~」みたいな軽い気持ちで保険をかけているのかもしれません(笑)。
アント&デックのBGTでのキャラクタと彼らのゴールデンブザー
2人はステージの裏でも表でも、いつも明るく自然体で、常に軽快に走っている印象があります。
子役の年齢からTVに出演し続けている彼らにとって、ステージもバックヤードも「自分たちの庭」のように感じているんじゃないでしょうか。
2人は本番前の出場者に寄り添っては緊張をほぐし、審査員の辛口コメントに傷ついた出場者には駆けよって慰めます。

サイモンの酷評と対立してステージを投げ出した出場者をなだめてバックヤードから連れ戻し、なんとかその場に収集をつけたこともありました。
それは彼ら自身が子どもの頃からエンターテイナーとして、さまざまな緊張や興奮、成功や失敗をステージで味わってきたからこそできる「当事者目線での気遣い」なのでしょうね。
そしていつも待機しているステージの袖からはゴールデンブザーのチャンスをうかがい、「僕たちの出番だ!」と思えばすばやくステージを横断して審査員席に駆けつけます。

アント&デックのGB(ゴールデンブザー)を見ていくと、彼らが「どのような出場者をGBに選ぶのか」については、とくに何らかの傾向があるとは思えません。
また彼らがどのようなシチュエーションでGBを押すかについても、特段「予兆」のようなものは感じられません。
そして、それはTVの編集でカットされているのかもしれませんが、2人が何か相談しているようにも見えないにも関わらず、突然どちらかが(あるいは2人同時に)走りだします。

いざ彼らが袖から走り出ると、それはまるでコップから水があふれ出るように会場から「共感」の声が湧き上がるのが、私は大好きです!
「誰が見ても当然GB。」ではないのですが、審査員も観客も「そうだよね?これGB押すべきだよね?」と、うっすら感じていた自分に気づき始めます。
表面張力でプルンプルンに張りつめている水面があることに多くの人が気づいていない状況で、そこに最後の「一滴」をたらしてコップをあふれさせるのが、アント&デックのGBなのではないでしょうか。
長い芸能キャリアに支えられた唯一無二のコンビは、今後も「名司会者」そして「影の名審査員」としてBGTを盛り上げてくれることでしょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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