世界には幾多のオーディション番組がありますが、その中でも超有名な2トップが、アメリカズ・ゴットタレント(AGT)とブリテンズ・ゴットタレント(BGT)でしょう。
歌やダンス、マジックやお笑い芸などさまざまなジャンルのパフォーマーが出場する一方で、彼らに質問をしてそのキャラクターを明らかにし、演技を審査して講評(コメント)を与え、番組を盛り上げる審査員たちも大活躍しています。
どんな立場のどんな経験をつんだ人が、あの席で審査をしているのでしょうか?
若い頃からダンスも洋楽も大好きで、アクロバットパフォーマンスにも長く携わった管理人が、各審査員の経歴やキャラクター、資産やプライベートなどを調査し、整理整頓してお伝えします!
この記事ではゴットタレントの中心人物であるサイモン・コーウェルについてまとめてみました。
サイモンの経歴は?AGTの審査員はいつから?
サイモンはAGTとBGTの「ボス」です。画面に向かって右端の審査員席に座り、短髪でちょっと不精ひげを生やし、予選ではたいていTシャツを着ている男性になります。
サイモンのフルネームはSimon Philip Cowell(サイモン・フィリップ・コーウェル)です。
サイモンは1959年の10月7日、イギリスのブライトンで生まれました。
ハートフォードシャー州エルストリーで育ちましたが17歳で学校を辞め、いくつか転職したのちに、当時父親が勤めていたEMI Music Publishingの郵便仕分け室で働くようになります。
1980年代からは音楽プロデューサーとして働くようになりました。・・・彼の本格的なキャリアのスタートですね。
この時期、サイモンは2つの自分のプロダクションを設立していますが、残念なことにそれらは上手くいかず、撤退を余儀なくされています。
サイモンがオーディション番組の制作に関わり審査員も務めるようになるのは、次に述べる彼が40代の頃からですので、この20代~30代は音楽プロデューサーとして、試行錯誤を重ねていった時期なのではないでしょうか。
17歳で学校を辞めて職を転々としても、結果的に彼は20代のうちに「適職」にたどりついた、ということになります。・・・素晴らしいですね!
そこから彼は2001年にイギリスのオーディション番組『ポップアイドル』の制作に関わり、翌2002年には『ポップアイドル』のアメリカ版『アメリカン・アイドル』も制作しています。
この2つのオーディション番組ではもちろん審査員も務めていますが、出場者を打ちのめすサイモンの「超辛口のダメ出し」は、視聴者に強い印象を与え、これらの番組を有名にするのにはかなり役立ったようです。
しかしその厳しさは同時に、エンタメ業界の容赦ない生存競争を知る彼が、夢見がちな若者に向かって「君は君の人生を、この業界に浪費するべきではない」と諭す(さとす)ための「優しさの裏返し」でもあったのかもしれません。
2004年、自らが制作したイギリスのリアリティ・オーディション番組『Xファクター』でも審査員を務め、2007年には同様の番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』を制作し、ここでも審査員席に座るようになります。
2000年から2010年までの間に先進国ではインターネット回線のブロードバンド化が進み、Youtubeなどの動画サービスの利用率が飛躍的に向上しました。
ポール・ポッツやスーザン・ボイルなど「ドラマティックな優勝者」の登場もあいまって、これらの番組は放送されていない各国でも動画で知られるようになり、サイモンは「世界で最も有名なTVプロデューサー」のひとりとなりました。
同時期にアメリカでも活躍していたサイモンは、当時FOXで放送されていた『アメリカン・アイドル』にも関わっていたため、ライバル放送局であったNBCの『アメリカズ・ゴット・タレント(AGT)』の審査員席に座るためには、アメリカン・アイドルを降板したのち数年待たねばならなかったようです。
彼が実際にAGTの審査員となったのは、2016年のシーズン11からです。
サイモンの資産やプライベートは?
サイモンはさまざまな長者番付にのるセレブです。イギリスの音楽業界ではすでにトップ、アメリカのTV出演者番付の中でもトップになったことがあります。
よく話題になる彼の総資産は、2011年で266億円、2013年では320億円、2023年ではなんと819億円と報じられています。
この10年間で500億円も増えたことになりますが、年平均50億円の蓄財ってとんでもないペースですね。
ちなみに年間50億円というのは、日本でいうと総人口1万人~1.5万人程度の小さな「町」の年間予算くらいみたいです。・・・そんな額を個人が稼ぎ出しているって・・・(驚)
サイモンには現在、パートナーのローレンと、ローレンの連れ子のアダム、そしてサイモンとローレンの間に生まれたエリックの3人の家族がいます。
ここに至るまでにはさまざまな紆余曲折があったようですが、2人はいまだに「結婚」という形はとっていないようです。
若い頃に転職を繰り返した履歴から考えれば、サイモンはカチッとした型にはめられるのを好まない性格なのかもしれませんね。
サイモンの身長は175cm、体重は72kgという数字がありますが、これまでの彼のビジュアルを振り返れば、ある程度適切な体重の範囲内にコントロールされているようです。
美容にはかなり関心があったとのことですが、彼ほどのハードワーカーであれば、フィジカルにお金をかけるのは当然でしょう。
サイモンのゴットタレントでのキャラは?・・・彼だけに許された服装とは?
AGTでもBGTでもサイモンが座る審査員席は常に舞台から見て右端で、これは審査員が3人のときも4人のときも変わりません。
ジャッジをスタートする審査員はそのときどきで変わりますが、最後はサイモンが締める場合も多く、「おめでとう、君は4つ目の『YES』をもらった」というセリフをよく耳にしますね。
これはもちろんこの番組が彼のプロデュースする番組であるからなのですが、逆に言えば彼が出場者に対して「最終責任」を負う、という姿勢の表れでもあるのでしょう。
サイモンはあるときは不快感あらわに出場者を批判し、あるときはパフォーマンスを中断してやり直しを命じ、またあるときはステージまで出向いて出場者やその家族をハグします。
彼は自分を見失うほど感情を爆発させることはありませんが、冷徹な目で出場者を批判する一方で、観客や視聴者が受け止めたであろう驚きや感動を、わかりやすい言葉で言語化したり行動に示してくれたります。
我々が口ごもる不満や表現しきれない感動を、許されるギリギリの範囲で表現するサイモンのジャッジは、結果的には多くの共感を集め、「オーディション番組の審査員」というキャストにひとつのスタイルを確立したと言えます。
さて審査員の中で最も大きな権限を持つサイモンですが、とくに予選においてその服装は審査員の中で最もラフであり、ほとんどの場合が丸首のTシャツです。・・・皆さんは不思議に思いませんか?
私見に過ぎませんが、ちょっとその理由を考えてみました。
まず、そもそも彼はスーツやネクタイのようにカチッと型にあわせるようなファッションを好まない、ということが考えられます。
次に、「予選」という初舞台で、権限の大きなサイモンが服装で「権威」まで示してしまうと、出場者に不要な緊張感を与えてしまうかもしれないことへの「配慮」という面もあるのかもしれません。
ラフな服装のサイモンを見ると、大観衆の中ではなくバックヤードで行われている、非公開のオーディションのような感じもしますよね。・・・ある意味、ちょっと安心します。
また審査員席全体を眺めると、男性2人に女性2人の構成ですし、そのファッションはドレッシーなもの・フォーマルなもの・そしてラフなものも入っていることで、広いバラエティーが感じられます。
その結果、審査員席も「万全の布陣」という感じが伝わるような気がしますね。
最後にこのラフな服装が逆説的に、番組内で彼だけがルールに従う者ではなく「ルールを作る側の人物」であることを示しているとも言えます。
・・・つまりサイモンだけにはドレスコードが適用されない、という感じでしょうか。
予選のステージから審査員席を見る出場者の目には、サイモンだけがプライベートルームでリラックスしているかのように見えるのかもしれませんね。
歌唱の中断や選曲のし直しもサイモンの権限!
ところで、サイモンだけの「権限」を感じるのは「ドレスコードの免除」だけではありません。
とくに歌唱でエントリーしている出場者への「歌唱の中断」や「選曲し直し」の要求もまた、彼にしか許されていない特権でしょう。これには2つのパターンがあります。
一つは「出場者がその真価を発揮できていないと感じられるとき」、そしてもう一つは「その曲をサイモンが嫌いなとき」です。
2020年のBGT一次予選に出場した10歳のスパルニカ・ナイヤは、『若草物語』でジュディ・ガーランドが歌った『Trolley Song』を歌い始めますが、20秒ほどでサイモンはこれをストップします。
「君は好きだけど曲が好きじゃない」「デイビッド(当時の審査員)のデビュー曲と同じになっちゃうだろ」などと茶化したりしていますが、実際は「その曲では力が見せられない」と判断したのでしょう。
『Trolley Song』はコミカルでアップテンポな曲ですが、感情は「楽しい」の方に寄っていて、その中での起伏そのものは大きくありません。
10歳の少女がこれを歌えば可愛いでしょうが、速いテンポの中で微妙な感情の起伏を「歌唱力」で表現するのは、逆にかなり難しいでしょう。
するとサイモンは歌唱リストの中に『Greatest Showman』の劇中歌である『Never Enough』を発見し、彼女にリクエストします。
その結果、スパルニカはミドルテンポのこの曲の「起伏の大きさ」を見事に表現し、彼女の持つエンジンの優秀さを十分にアピールすることができました。
結果的には誰が見ても選曲のし直しは大成功だったのですが、すでにサイモンには選曲の時点である程度の予想がついており、そして実際にスパルニカの1曲目の歌唱を聴いたときには「選曲ミス」と確信できたのでしょう。
・・・このあたりはもう、サイモンの音楽プロデューサーとしての「腕前」に拍手を贈るしかありません!
一方、2021年のAGT一次予選のジミー・ヘロドはミュージカルの名作『Annie』の劇中歌『Tomorrow』を申告します。
しかしサイモンはこれに対して「その曲は私が世界一嫌いな曲だって知ってる?」とプレッシャーをかけ「他の曲はないの?」とリクエストするんですね。
ジミーの顔は一瞬ひきつりますが「これ以外はありません」と覚悟を決めて『Tomorrow』を歌い始めます。
・・・その結果は鳥肌が立つほどの素晴らしい出来栄えで、会場のほぼ全員がスタンディング・オベーション。
もちろんサイモンも立って拍手をしていましたが「ワオワオワオ!・・・もう二度と(世界一嫌いな曲とは)言わない」と、素直にギブアップを表明したのでした。
ここからは推測ですが、この『Tomorrow』は起承転結がはっきりしている曲の典型なだけに、おそらくさまざまなオーディションでも選曲されることが多かったのではないでしょうか?
そしてその中には、曲の起承転結に乗っかっただけで個性のない歌唱や、逆に独りよがりの歌唱なども多かったのかもしれません。
・・・この曲がもしそのような「履歴」を持っていたとするなら、サイモンはそういう過去の歌唱にちょっとうんざりしていて「世界一嫌いな曲」と言っていたのかもしれませんね。
・・・まぁでも、サイモンが他の審査員よりちょっと「わがまま」な感じは否めません(笑)
躊躇なく歌唱を止めて選曲のやり直しを命じるサイモンは、過去には審査員のアマンダから「なんでちょっと我慢できないの!?」と叱られたこともあります(笑)。
サイモン得意のダメ出しは心の中に・・・
さてサイモンがオーディション番組の制作・審査に関わって20年以上が経過し、その言動も年齢相応に丸くなってきたような気がします。
また昨今では、ゴットタレントへの応募者そのものが増えたため「事前審査」を通過する「1次予選出場者」のスキルが高くなり、1次予選の通過者が8割を超えたということです。
そのため、昔のように「並外れた低レベル」の出場者はかなり珍しくなり、ダメ出し自体も少なくなっているんですね。
ジャッジとしてのサイモンのキャラクターでいまだに印象的なのは、やはり「妥協のないダメ出し」なのですが、その「名物」が発揮される機会はかなり減ってきているようです。
しかし考えてみると、誰よりも真っ先に「ダメ出しの洗礼」を浴びていたのは、他でもない「17歳で学校を辞めて転職を繰り返したときのサイモン自身」だったのではないでしょうか・・・?
彼は彼自身に「サイモン、君はもうこれ以上ここにいてはいけない」と言っていたのかもしれません。
サイモンが若い頃の自分に出した「妥協のないダメ出し」によって適職を見つけ、現在の世界的な名声を築いたのだとすれば、今後も彼の心の中には「妥協のないダメ出し」は在り続けるでしょう。
そしてチャンスがあれば、サイモンは自信を持って「君はもうこれ以上、ここで歌ってはいけない」と言うにちがいありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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